【埼玉春日部営業所】毎週水曜日・第1第3木曜日
東住吉区が誇る文化遺産
「針中野」の由来、ご存知ですか?
こんにちは。大阪出張所スタッフです。
近鉄南大阪線『針中野駅』より徒歩3分。
大阪メトロ谷町線『駒川中野駅』より徒歩8分。
住宅街の中にある「中野鍼灸院(なかのしんきゅういん)」は平安時代の延暦(782年~805年)の頃に設立された「中野降天鍼療院(ナカノアマクダルハリヤ)」がその屋号。
平安時代から一子相伝を守り、男児に恵まれない時は女性も当主としての鍼灸術を習得し、現在に至っています。
登録有形文化財(2019年 (令和元年) 7月19日)
初代の治平氏は延暦20年(801年)生まれ。
平安初期に弘法大師が布教の途上、当家に宿を借りたお礼として、当時最も進歩した鍼術とツボを示す「遂穴偶像」(スイケツグウゾウ)(大人と小人の丈1m弱の木像)と金針を授与されたとのこと。
その木像は現在も中野家に伝えられています。
3代目主禮氏は年度が不明ですが、旧暦満月の8月15日に開業されたので「月見の鍼」と呼ばれ、今もその治療に訪れる人が多いと言われています。
南北朝の頃に、足利軍の戦火により屋敷を焼失しましたが、大師伝授の木像2体と鍼と漢方薬書が残り、今日に至っているとのことです。
宝暦13年(1763年)発行の【摂津平野大絵図】にも「中野村小児鍼師」と記されています。
明治の頃、第41代目新吉氏は医師の資格を取得された上で、西洋医学を取り入れて独自の鍼法を築かれたので
近畿一円から「中野鍼まいり」として1日500人以上の人々が殺到し、屋敷内に遠路の来館者を泊める宿舎も建てられていました。
大正3年(1914年)に南海平野線が開通した時には、中野駅から鍼院まで7ケ所の道辻に石の道標が建てられました。
大正時代に中野家41代目が大阪鉄道(現近鉄南大阪線)の開通に尽力し、そのお礼として大正12年(1923年)の開通時には最寄りの駅名を「針中野」としたと言われています。
遠くから見えた3階建ての塔屋敷は当時珍しかったそうですが、老朽化したために昭和50年(1975年)に取り壊されました。
個人のお名前が駅名/地名になるって、とてもすごいことですよね。
歴史ある建物は圧巻でした。
もちろん現在も肩こり/腰痛/婦人科疾患/小児鍼などの治療を続けられ、多くの予約が入っています。
お身体の凝りなど、お悩みがある方は是非一度ご来院を。
歴史ある建造物、鍼治療を受けられてみては如何でしょうか。
受付時間:月曜日~土曜日
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定休日:日曜日、祝日※不定休あり。電話予約制
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